大判例

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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)7114号 判決 1968年8月06日

原告

大内昭

ほか一名

右両名代理人

高木壮八郎

被告

造機車輛株式会社

主文

一、被告は原告大内昭に対し金一四三万円およびうち金一三〇万円に対する昭和四二年七月一三日から、原告大内強に対し金一四万円およびうち一二万円に対する昭和四二年七月一三日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二、原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用はこれを五分し、その四を被告の負担とし、その余を原告らの連帯負担とする。

四、この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事実《省略》

理由

一、(事故の発生)

請求原因第一項の事実は、原告昭の受傷程度の点を除いて当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告昭はその主張どおりの傷害を負い、事故当日から昭和四一年五月八日まで一三六日間入院治療を受け、退院後も同年六月二九日までの間二八日通院したことが認められる。

二、(被告の責任)

(一)  運行供用者責任

被告が甲車を所有していたことは当事者間に争いがなく右事実によれば被告は運行供用者として自賠法三条の責任があり、原告昭の蒙つた後記損害を賠償する責任がある。

(二)  使用者責任

被告が訴外遠藤の使用者であつたことおよび訴外遠藤が甲車を運転して中央線を超え丙車の追越しを敢行していたことは当事者間に争いがない。後に判示するように、訴外遠藤は乙車が進来するにもかかわらず軽卒にも追越し可能と判断して丙車の追越しにかかつたのであつて同人には過失があつたものということができる。

<証拠>によれば、訴外遠藤は被告の業務として事故発生日の前日訴外日本鉱業株式会社から発煙硫酸を満載して都内にある訴外東洋化学株式会社王子工場に運搬し、その帰途に本件事故を惹起させたことが認められ、訴外遠藤は甲車を当時被告の業務のために運転していたものである。よつて被告は民法七一五条一項の責任があり、原告強の蒙つた後記損害を賠償する責任がある。

三、(原告昭の過失)

<証拠>によれば次の事実が認められる。

本件道路は幅員一〇米の平坦な舗装道路であり、高荻方面から水戸方面に向けていくぶん右カーブしており、道路両側にはガードレールにかわるものとしてワイヤーロープが張られている。

原告昭は事故発生の約一五分前である午後七時一五分頃まで約五〇分間にわたり一級酒(冷酒)を一合位飲んだが、普通五合位飲むことができ酔の程度も大したことはなかつたため、乙車の運転を開始し、高荻方面から水戸方面に向けて時速約五〇粁の速度で南進し、事故現場付近に接近する頃にはほろ酔加減になつていた。事故現場に近づいた際、原告昭は前方約一五〇米の地点に一台のタンクローリー車が中央線を超えて丙車の追越し行為を敢行しているのを発見したが、自分の車とすれちがう頃にはその車は中央線内に復帰できるであろうと判断した。そして道路が右にカーブし、進行方向左側は深い崖となつているにもかかわらず、道路端にはワイヤーロープしか張られてなく危険を感じたので、道路端を避けるべく道路中央に寄つてそのままの速度で進行を継続した(原告昭が少量飲酒した上運転していたことおよび甲車が中央線に寄つたことは当事者間に争いがない)。

訴外遠藤は甲車を運転して水戸方面から高荻方面に向けて時速約五〇粁の速度で北進し、事故現場に接近したところ、先行する丙車の速度が遅かつたので、甲車の前方約六―七米のところを走行していたタンクローリー車(原告昭が発見した車である)が丙車の追越しにかかつたのに引続いて丙車の追越しを図り、追越しの合図のクラクションを吹鳴しながら追越し行為にかかつたところ、前方約一二五米の地点に対向進来する乙車を発見した。しかし追越し可能と判断し速度を増して丙車の脇まで進行したときには既に乙車は五―六〇米先まで接近していた。そこであわてて丙車の前に入ろうとしてハンドルを左に切つたが車体後部は廻りきれず、甲車の右側後部フェンダー支えパイプ付近に、乙車の右側前照灯、フェンダー付近が接触した。その接触地点は乙車の進行道路上道路中央から1ないし2.5米であつた。甲車の前方を走行していたタンクローリー車はからくも乙車との衝突を回避した。

右事実によれば、すれちがい可能との原告昭の軽卒な判断下における前記行動が本件事故発生の一因をなしているものというべく、またその不注意は飲酒に起因する注意能力の減退を示すものとも考えられ(甲車運転者訴外遠藤は乙車の進来に気がついていたのに、原告昭は甲車の存在についてすら認識していなかつたのである。)、訴外遠藤の過失と原告昭の過失とを対比すると大体八対二とみるのが相当である。

四、(損害)

(一)  原告昭

1  治療費

いずれも成立に争いのない甲第五ないし八号証によれば、原告昭は治療費中、(1)初診科、個室料、(2)検査料、(3)付添費用をいずれも主張どおり出捐した事実が認められる。

原告昭は、前記のとおり事故当日から昭和四一年五月八日まで久慈浜病院に入院していたのであるが、前出甲第五号証、原告昭本人尋問の結果によれば、同年一月二日までは家政婦に付き添つてもらつていたが、同女が老令のため思うように用が足せないため解雇し、その翌日から退院まで妻訴外節子にずつと付き添つてもらつたことが認められ、<証拠>によれば、原告昭の傷害の程度は事故当日から昭和四一年四月二〇日まで付添看護を要するものであつたことが認められる。同年一月二日から同年四月二〇日までの一〇七日間の妻の付添看護に対して原告昭としては何ら出捐したわけではないけれども、同人の傷害の程度が付添看護を必要とするものであつた以上、家政婦に代り必ず家人が付き添わなければならなかつたのであつて、このような場合の家人の付添を、既に看護人が別に存する際の、必要不可缺とは言えぬ家人の付添と同視することはできない。本件において妻訴外節子は、本来家事に注ぐべき時間と労力とを原告昭の付添に捧げたわけであつて、この間に失われたものは原告昭の損害として評価すべきものであるが、それは、妻ではなく、家政婦による付添が続いていた場合の出捐と同額と見るのが相当であると考えられる。<証拠>によれば、家政婦の付添費用は一日一一二〇円であることが認められ、妻の付添日数一〇七日間の全期間家政婦に付き添わしめれば一二万円近い出捐を見た筈であることを考えれば、原告昭の主張額七万五〇〇〇円を本件事故による損害として認容することができる。

<証拠>によれば、訴外ときわ通運健康保険組合は原告昭の治療費として六〇万三二三二円を立替払いしたが、そのうち三〇万円は自賠責保険から求償し、残額三〇万三二三二円の債権を被告に対し有していたものを、昭和四二年九月一二日原告昭に債権譲渡したことが認められる(甲第一三号証の一の記載中には右認定に反する部分もあるが、それは医療費の計算違いから生じたものと認められ、書面自体の効力を失わしめるものではないと考えられる)。従つて原告昭は被告に対し三〇万三二三二円の請求権を有しているものということができる。右認定額を超える部分についてはこれを認めるに足る証拠はない。

2  休業損害

<証拠>によれば、原告主張どおりの損害を蒙つたことが認められる。

3  入院雑費

原告昭の前記傷害の程度を勘案すると、入院中の日用品の購入費用として少なくとも一日一五〇日程度は必要であつたと考えられ、原告昭の入院期間一三六日を積算すれば、原告主張程度には出捐を余儀なくされたであろうと推認される。

以上1、2、3の損害額を合計すると六八万余円となるけれども、原告昭の前示過失を斟酌すると、そのうち被告に対し賠償を求めうる額としては五〇万円が相当である。

4  慰藉料

<証拠>によれば、原告昭は入院期間中に、急性膵炎手術と腸間膜損傷手術とを二回受け、外傷治癒後も腸が癒着しているため腸閉塞の恐れがあること、同人の腹部には著しい手術痕が残つており、体重も事故当時と比べて一貫目位減つていること等が認められる。右事情および同人の蒙つた傷害の程度その他諸般の事情を考慮すると、前示同人の過失を斟酌してもなお、慰藉料としては八〇万円が相当である。

(二)  原告強

乙車破損代

原告強(原告昭の兄にあたる。)が乙車を所有していたことは当事者間に争いがなく、前出甲第一一号証、原告昭本人尋問の結果によりその成立の認められる甲第一二号証および同尋問の結果によれば、乙車は本件事故のため大破し修理不能の状態となつたこと、事故直前の時価は一五万円であつたこと、破損後の乙車は五〇〇〇円でスクラップとして訴外有限会社長山自動車整備工場に譲渡されたことが認められる。従つて原告強としてはその差額一四万五〇〇〇円の損害を蒙つたということができる。被告は乙車の破損については他車の衝突も関係している旨主張するが、原告昭本人尋問の結果により衝突した車はバイクと認められるから、これによる乙車の破損は軽微と見るべきであり、むしろ、乙車が修理不能となつた原因はひとえに甲車との衝突によるものと考えられる。従つて乙車の破損はすべて本件事故によるものと認むべきであるが、原告昭の前示過失を斟酌すると、そのうち被告に対し賠償を求めうる額としては一二万円が相当である。

(三)  弁護士費用

以上により被告に対し、原告昭は一三〇万円の、原告強は一二万円の損害賠償請求権を有するものというべきところ、被告が任意にこれを弁済しないことは弁論の全趣旨により明らかであり、原告昭本人尋問の結果によれば、原告らは弁護士高木壮八郎に対し本訴の提起と追行とを委任し、五万円を内金として支払うと同時に、本判決で決められた金額の一割を払う約束をしたことが認められ、本件事案の難易、前記請求認容額その他本件にあらわれた一切の事情を勘案すると、原告昭については一三万円、原告強については二万円が被告に賠償させるべき金額と認められる。

五、(結論)

そうすると、原告昭の請求中、以上合計一四三万円およびそのうち弁護士費用を除いた一三〇万円に対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四二年七月一三日から、原告強の請求中、以上合計一四万円およびそのうち弁護士費用を除いた一二万円に対する前記昭和四二年七月一三日から、各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。(倉田卓次 荒井真治 原田和徳)

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